2010年09月26日

★尖閣諸島で亡国の民を感じる★

尖閣諸島で逮捕された船長解放に関して書こうと思う。
これはAsukal個人の見解であり政治的には素人の話である。
Asukalは右翼でも左翼でも国粋主義でも無い。尖閣諸島が絶対日本の領土であると
主張するものでもない(尖閣諸島に関してあまり知識もなかった方である)
もちろん極端な嫌中国でもない。
逆に何も知らされない仕組みの中で暮らす中国の国民たち
と政府に作り上げられた彼らに同情さえ覚えるほうである。

Asukalは1988年(天安門事件の前年)より中国と個人ベースで
商売を通して関わり、中国に住んで現地人を採用して10年以上になる。
欧州各国や他の東南アジア諸国もビジネス相手として付き合い何度も各地を訪問して
いる。

基本的には個人の話なので反論は不要である。
これから書くAsukalのこの意見に対しての反論を言える条件は下記の条件を
満たす者のみである。

*Asulakより事実上長く現地で中国と日常的に交わっている者

さらに下記に該当する者も反論、同意も無視する。
何故なら机上の戦略会議ではなく戦場で血を流す兵士の様に
これから我々日本人(特に中国に居る日本人)がどうなるかという
切実な問題であるので、空論は無用であるからだ。

*メディアやネット上の情報だけで現地に住む日本人の立場も理解するすべを持たな
い者。
*評論家やそれに準ずる評論家かぶれのもの
*日本の政府はもともと役立たずなので期待するほうが間違い、或いは
 政治とはこんなものだ。或いは日本の国民がだらしないと言う持論を基にした意見
*商人なので政治には関係ないという者。
 これはAsukalから言わせると商人として素人でありまったく商人と言うものを分
かっていない
 ものの発言であり、この決まり文句を言うことが粋(イキ)であるかのような
 勘違いをしているとしか思えない。
 本当の商人は、(特に中国では)政治がどれだけ商人を翻弄するか?
 かつ国民感情が与えるビジネスへの影響がどれほど大きなものか知っているはずで
ある。
 為替の動きも政治抜きでは語れない時代に時代錯誤も甚だしいと感じ。

本題・
政府が日本人に対して結果的に行った仕打ちとすべきではなかった行為を話し
たい。
この様な結果しか(最終的には釈放)出せない事はある程度予測はできていたはずで
あり且つアメリカは知らん顔をするであろうという予測はついたはず。

さらに他の東南アジア諸国での国境問題での中国の屈強な態度を知っているはずである。
そんな中で追加勾留や謝罪を求めるべきではなかった。
そもそもそれが間違いであって最初の交流期間が終わった時点で速やかに釈放して、
こっちの領土で起きた問題を取り調べたと言う名目で返すべきであったと思う。
素人が玄人と喧嘩して勝てると思っていたのであろうか?

オリンピックを機に、中国人は『われわれ国民は国際レベルに達した、
もはや同等である』と自負しているし信じるようになった。
中国人の言う文明的、日本人がよく使う民度という概念の部分は
彼らには(ほとんどの場合)自覚も無いという部分での国際レベルである。

すでにこの時点で日本人にとってはかなり理解を超えた感覚を感じさせられるはめに
なった。

そして今回の勾留釈放という結果=中国の勝利 は、中国政府と国民の中で
人種・国民・民族の序列の配置が大きく書き換えられる結果になってしまうという
事は日本人を劣等、或いは二等国、属国とまでも行かないがこれに準ずる配列に
置かせてしまったはずである。この序列は中国人だけではなく世界中の国民が大小に
かかわらず持っているはずなので読んでいる方も自分の中で思い浮かべてもらえれば
わかるはずと思う。
これは今後の民間レベル、国家レベルでのビジネスや外交に直接影響してくるはずで
ある。
すでにその既成事実を作ってしまったのだかたら。

これはすごい仕打ちである。
今回の 勾留期間延期といきなりの釈放の決定を下した者達に対して
『お前らそれでも日本人か?』と罵倒を浴びせたいほどである。
もちろんそれらの決断した人を 誠実な者と言ったり擁護する者にも
罵倒を浴びせたいくらいの気持ちであるが Asukalのような一個人が叫んでも
何も役に立たないという悲しい身分であるのも事実である。

民族的にどちらが上か下か等という気持ちはさらさらない。
それを言えばナショナリズムの衝突でしかないのでばからしい結果になるが
政府の出したこの結果は我々国民に対して日本人としての権利と誇りを
捨てろと言うのと同じであったと思う。
怒りは収まらない。
posted by Asukal at 18:53| 香港 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする