国境の街シンセン・・・20年ほど前にある日忽然と姿を現した街シンセン。特別開発区として香港および香港経由での諸外国からの投資を目的として、或いは 社会主義的資本主義経済の実行とその見本となるべく人為的に創られた街、シンセン。
国境(と言う呼び名が正しいかどうかは置いておき)を挟んで数十分で香港である。その境界線を跨いでまったく別の様相、雰囲気を持った世界が存在しているのだ。Asukalが始めてシンセンを訪問した15年ほど前、香港との国境にある駅前にビルが数件あるだけであった。そのビルから見渡せたのは一面の荒野と建設予定地だけであった。
広東地区はいわゆる広東語を母語とする。当然香港ー広州も広東語を母語とするのだがシンセンは少し違うのだ。もちろん本来のシンセン人、或いは周辺の広東地区から流れてきている人々は広東語を話すが実は普通話(北京語、或いは共通語の意味。マンダリンである)の方が広く使われる。
本来のシンセンは辺境の漁村であり人口もたかが知れていた。経済特区となり広東省近辺をはじめ中国全土から野心を持った人々が流れ込んだ。 本シンセン人の数百倍の人々が流れ込んだのだ。一夜とは言わないが、本当に魔法で創ったように一気に作り上げられた街なのだ。
当然その人々の間では共通語である普通話が主に使われるのだ。もちろん広東語もかなり通じるが、広東地区の中では 異様な割合での普通話が使われると言う意味である。
極端な例を言うと、Asukalは広東語の基本的な日常単語は聞き取れるが話せないと言うレベルである。しかし普通話はほぼ日常の会話には困らないレベルである。そんなAsukalが香港へ行く、ほとんど英語で彼らと話す。普通話も昔に比べれば当然通じるがまだまだその普及率は低いのだ。(と言うより普通話を使うと中国人として扱われるのでいやなのだ、中国人と日本人とでは香港人はその扱いに天と地の差があるのだ)
そして街の中は英語も普通話も話せない香港人も沢山いる。ゆえに結構苦労するのだが国境を一歩越えシンセンに入ればほとんど普通話が通じ非常に安心感がある。(普通の日本人はその殺伐とした街の様子、騒がしい不気味な様子に不安感を覚え香港に戻るとほっとすると言う人がほとんどだがAsukalは逆なのである)
十数年前取引先の香港の商人たちは99%普通話がわからなかった。しかし彼らが時折連れてくる小学生の息子、娘たちは普通話を習い始めており話せるようになってきた。その子たちの世代が今社会に出ている。おかげで以前ほどは普通話が通じないと言うこともない、おまけに大陸から沢山の労働者が 裏・表を問わず流れてきている。
今は大枚を持った大陸からの観光客が落ち込んだ香港の観光業を盛り返していると言っても過言ではない。そんな大事な大陸人を迎え撃つためにもやはり普通話は非常に重要となってきている。そんな折、香港の就職戦争も普通話が出来なくては勝ち残れない時代となっている。
広東省の都、広州でも10数年前はいったん街に出れば普通話はほぼ間違いなく通じなかった。レストランや駅の職員、ホテルのメイドやガードマン、町の売店等ほぼ通じないと思ったほうが良かった。当事Asukalが普通話を取得していなかった時代、いつも 北京の友人と中国国内の旅をしていた。彼も広州の旅には苦労していた。いつも彼らに 「本当にお前ら中国人か?」と腹を立てていたのだ。
予断だがその北京の友人はすごい学歴を持ち有る国家の組織に属していた。数ヶ月におよび外国人(Asukal)と行方をくらませたため 国家保安委員局からスパイ容疑で指名手配されてしまった。もちろん Asukalも同様に指名手配を受けてしまったが、二人ともにスパイ容疑だけは免れたが彼は当然免職になった。今も彼とは親友である。
当事の広州のテレビ番組で「大家一起説普通話」と言うのが有った。訳せば「みんなで話そう普通話!」と言う意味だ。
クイズ番組のように何組かの数人の広東人の家族や友人の組が登場し得点を競い合うのだ。何の得点かと言うと
広東語の文章を司会者が読み上げる。それを各組がいっせいに普通話に訳して紙に書き込む。せーの でそれを公開しどの組が一番正確な普通話に訳しているかを競う。これが同じ中国の内部の言語であるのだが結構正解者は少ないのだ。はっきり行って 英語とロシア語ほど遠いと思っていよい。単語は共通の単語も多いがやはり程遠いのである。野菜の名前など 「白菜」と同じ字を書くのだが読み方もその意味する野菜も違うのだ。
そんな広東省にありながら普通話の通じるシンセン。内陸から、色んな地域からの人々が集まっている。ある意味では中国のN・Yの様な物である。人種のるつぼとまでは言わないが中国の各民族、各省のショウルームのようである。
その様な特殊な背景にあるため実は何でも有りの恐ろしい街なのである。良い事も悪い事も何でもあるのである。説明をすればきりが無いのでしないがとにかく恐ろしい街であることは表面でしか見ていない外国人には分るすべもない。
Asukalはシンセンに来て6年目である。仕事で日本のお客さんを迎える以外は日常の生活は全て中国人としかかかわっていない。ほとんど中国人と同じ物を食べ、同じ様な所で買い物し遊びもそうである。周りの人々もAsukalが自分で言わない限り
80%は中国人と思われている。それはAsukalの普通話が中国人並みにうまいと言った意味ではない。色んな地方から来ている中国人がいる街である為、
Asukalと同じ程度の普通話しか話せない中国人も沢山いるためそれらの人々と同じように見えるのであろう。
そして色んな恐ろしい事実を垣間見て来た。それらを知らぬ日本人には信じられぬような事実もあるし知らない方が良い、知る必要も無いが・・・
←中国内陸、湖南省、四川省、江西省等の人間が最も多く入り込んでいるためそれらの地域の料理屋が最も多い。写真は今夜食べた四川料理、唐辛子と一緒に煮込んだチキンである。赤いのは全て唐辛子である。O2IIsで撮影。
よく映画や小説、そして歴史ドキュメンタリーなどに出てくる戦前・戦中の上海、そう魔都-上海の様である。今シンセンは魔都である。あらゆる考えられる、或いは考えられない様な犯罪、悪事がはびこっている。地方からの出稼ぎ労働者の成れの果て、或いは犯罪目的で流れ込んできた輩、どんどん増えている。
魔都シンセン。同志諸君,君達が知っている、或いは感じているほど甘くない街だここは!気を付けたまえ!